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渡邊昌先生のご紹介

  

渡邊先生の人となりを
   お伺いしました

            飯沼一元

(飯沼)弊社のお客様の中心は60~70代ですが、医者にかかる機会も増えているようです。お客様との電話応対からは、お医者様への不満も聞こえてきます。病院では、血圧・血液などの検査に始まり、次に、標準値との比較が行われ、標準枠から外れると薬が処方され、経過観察のため、通院を指示されます。
これに従うことで問題が解決すればよいのですが、治らない場合が問題です。「一向に良くならないのですが・・」と恐る恐る訪ねると、「トシですね」で片付けられることが多いのです。特に、便秘の場合は、「つらいのですが」と相談すると、「薬はいくらでも出しますよ」と言われてかえって不安になってしまいます。
先生も『お医者様』の一人ですが、今回は、先生の「人となり」に焦点を当ててお話をお伺いすることにしました
(渡邊)昔は「医は仁術」といって、「人を救うを以て志とすべし」(貝原益軒『養生訓』)だったのですが、西洋近代医学万能の風潮が蔓延し、マニュアル化が進みましたね。 これでは、国民の健康長寿を推進し、増大する一方の国民医療費を削減するなど出来ませんね。食事や運動、生き方などメンタルな側面も総合的に治療(アドバイス)する必要があります。
    
(飯沼)先生のお生まれから医学を目指したきっかけまでを教えてください。

「上医」とは「国を治す」こと

(渡邊)私は今の北朝鮮の平城で生まれ(1941)戦後引き上げてきて名古屋で育ちました。中学時代の恩師に花井正治先生がおられ、下医、中医、上医という話しをされました。病気を治すのは下医、病人を治すのは中医、そして、上医は国を治すというのです。なるほどと思って、どうせ医者になるなら上医を目指そうと思ったのがきっかけでした。
(飯沼)慶応義塾大学の医学部では臨床ではなく、病理学を専攻されましたね?
(渡邊)医学部では山岳部に入って夢中になり、山登りに明け暮れました。臨床は患者さんの時間に合わせなければならず、山登りとの両立が難しいですが、病理なら夜中でも出来ます。そこで、この時期に2000体の解剖をやって、病気と人体内部の関係を学び、病気の全体像にますます興味を覚え、慶応大学医学部の病理学の講師に進みました。
(飯沼)その後、国立がんセンターに移られて10年ほど疫学に携わったと伺っています。
(渡邊)講師をやっているときに、米国癌研究所に留学する機会があり、待遇も
    
良かったので永住しようかと思っていた矢先、東京から「どうしても帰って来い」という命令がきて、1977年に帰国し、国立がんセンターに勤務しました。ここで、がん免疫など病理室長を10年、その後、疫学部長を10年勤めました。疫学というのは、個人ではなく集団を対象とした疾病の研究ですから、統計学を多用し、情報処理が必須になります。そこで、情報センターを創設し、コンピュータ化を図りました。
(飯沼)大豆を沢山食べる習慣がある東北のある地方で、がんの罹病率が低いことなどの統計から、大豆イソフラボンの有効性を世界で最初に発見されたのはこの時代ですね。

糖尿病に罹り、一病息災を学ぶ

(渡邊)そうなのですが、このころは仕事の量が膨大になり、付き合いも増え、あまりの忙しさとストレスで一日4~5食の暴飲・暴食が続き、体重が78kgになってしまいました。そして、「糖尿病で危険な状態」と医者に宣告され、「医者の不養生」を身にしみて感じました。
(飯沼)当時の写真を拝見すると、メタボそのものですね。そこで、食事療法を開始され、間もなく東京農業大学応用生物学部栄養科学科の教授に就任され、栄養学に取り組まれましたね。私が米ぬかの研究をお願いした
    
のは2003年ですから、タイミングはピッタリだったわけです。そして、先生のご指導により2年後に食べる米ぬか「カーナの約束」の開発に成功したのでした。今、思うと全くの幸運といえます。 『糖尿病は薬なしで治せる』を出版されたのはこのころですね。
(渡邊)そうです。この本がとても良く売れて、厚生労働省の目にとまり、2005年に国立健康栄養研究所の理事長就任の要請が来ました。健康日本21を掲げていた厚労省は、糖尿病予防の国家戦略の司令塔として私に白羽の矢を立てたのです。ここでは国民栄養調査にはじまり、食の安全問題、食育基本法などに取り組みましたが、「国を治す」ことがいかに難しいかを痛感しました。
(飯沼)栄研理事長時代は、急にえらい人になられてしまって、研究の指導をお願いするのも気が引けて大変でした。でも、先生は毎日リュックサックを背負ってランニングシューズで通っておられましたね。糖尿病は一度罹ると治らない不治の病なので、その対策には気を抜かないで続けておられたのでしょうね。
ところで、生命科学振興会とのかかわりは何時ごろからですか?

理想の医療を目指して
    
(渡邊)もう40年になります。この会は生命の尊厳と人間・社会・自然の調和と科学の創造の三つを基本理念として、ノーベル物理学賞の湯川秀樹先生らが創設した会です。人が生きるということは、生命の保持だけでなく芸術や宗教など社会・文化的なものとバランスをとっていかないとおかしくなるという発想が原点です。理事長を引き受けて10年になります。
(飯沼)会報の巻頭言はいつも新鮮でタイムリーな問題が提起されていて、感心させられます。
この忙しい中で、いつ原稿を書くのだろうかと不思議です。更に、栄研を退かれてからは直ぐに、『医と食』の刊行を開始し、今度は「統合医療大学院大学」の設立申請書を文部科学省に提出されたとか・・
(渡邊)政府の食育基本法の委員をしている時に、「食育、徳育。体育」が石塚左玄の言葉だと知りました。明治時代に食養生を説いた左玄のこの思想を継承するために日本綜合医学会が1954年に創設され、昨年私が7代目の会長に就任しました。
現代医療は西洋医学にあまりにも偏ってしまい、全体を見ていないのです。専門医指向が強く、「中医」どころかみんな「下医」になってしまっている。だから、患者の不満を買うし、便秘も生活習慣病も治せない。
    
『医と食』は医者には栄養学を、栄養士には医学を学んで欲しいとの思いで開始しました。 統合医療大学院大学では医者や看護師に入学してもらい、東洋医学、栄養学、ヨガなどを学んでいただきたいと考えています。



(飯沼)首尾一貫していて素晴らしいです。
是非、「上医」に繋がって欲しいですね。それにしても、70歳を超えてよくやりますね。
(渡邊)初志貫徹、有言実行。これは一国民としての義務だと思っています。(本稿おわり)

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